京都に行ってきた
秋葉原からこれに乗っていざ西へ。
下車したのは京都。
京都に行くのが今回の旅の目的ではないので、何処に行くのか特に決めてなかったが、清水寺には行ってみたかったので、京都市営バスの一日券を買ってバスで行ってみる事にする。
京都駅北口のバス乗り場は市営バスの乗り場が何ヶ所もあるのに案内板が見つからず、土地勘のある地元の人でないと何処の乗り場に並んだらいいのか分からない。その辺は都営バスの方がかなり親切だと思う。
そういえば仙台の市営バスもかなり不便だったのを思い出した。何故、地方の市営バスはよそ者には不親切なんだろうか?
仙台はともかく京都は観光客がたくさん来るのだから、看板やスマホなんかで分かりやすい案内をするといいと思うのに…
そんな感じでやや迷いつつも朝の7時頃、清水寺に到着した。
門前の土産物屋は早朝で全て閉まっていたが、清水寺は6時から開門していた。
清水の舞台は思っていたより狭くてこんな感じだったけど…
真下から見上げると
迫力が凄い。よくこの高さを昔の人は飛び降りたものだ。
真下にある清水寺の名前の由来となった音羽の滝。こんこんと水が湧き出ていた。
水をすくう柄の長い柄杓は殺菌消毒する機械があった。
そこから清水寺を離れて朝飯を食べようと京都の街を彷徨うのだが、休日の朝からやってる店が極端に少ない。
大きな通りから路地に入って行くと何か良さげな雰囲気の通りが…
ガラス張りの商店のような店先で、廃材を利用したアートな作品が飾られていた。
そこからしばらく歩いて行くと、早朝にもかかわらず、和服の綺麗なお姉さんが歩いていて、花街の雰囲気になってきた。いつの間にか宮川町を歩いていたようだ。
ここで、観光客と思しき一人で歩いていたおじさんが、あるお茶屋の前で写真を撮ってくれとiPhoneを渡してきたので撮ってあげた。
最初は普通のポーズだったが、二枚目は周りに誰も居なかったからか、自ら「シェー」のポーズをしていた。
実はその二時間後に、そのおじさんと七条大橋でばったりと再開したのだが、なんだかバツの悪そうな顔をしていたな。
京都の風景は川が素晴らしい。
鴨川だけでは無く、細く流れる高瀬川も風情があっていい。
そんな風景を楽しみながら、京都の街中を小一時間ほど歩いて、四条烏丸の「都野菜賀茂」というレストランに辿り着いた。500円で京野菜などの朝食バイキングが食べられる店で、人気があるらしく、俺が入った後からは外に行列が出来ていた。
その後は国立京都博物館で、坂本龍馬展が開催されていたので行ってみると、博物館の周りをぐるりと長蛇の人の列が…
400〜500人は並んでいただろうか?
ツイッターのつぶやきによると、この日は坂本龍馬展に合わせたイベントがあって、アニメ「刀剣乱舞」のキャラクターのクリアファイルが配布されるので、それを目当てに殺到したのでは?との事だった。
並ぶのが大嫌いな俺は、もちろん予定変更して錦市場へ向かった。
長いアーケードの途中に焼き物を売ってる店があった。酒器が目移りするくらい素晴らしいのばかりだったので、平盃を思わず買ってしまった。
店の中にろくろがあって、裏手には窯があり全てこの場所で製作しているそうだ。
それからこれまで一度も乗ったことのなかった京阪電車で大阪に向かった。
自衛隊観閲式総合予行に行ってきた
友人に誘われて、10月16日に埼玉県の陸上自衛隊朝霞駐屯地の訓練場での、観閲式総合予行に行ってきた。23日の本番の予行練習なのだろうが、ほぼ本番さながらに行われるらしい。
自衛隊には何の興味もない俺だが、陸上自衛隊が担当の観閲式は三年に一度で、滅多に見られないので行く事にした。
朝霞駅には8時過ぎに着いたのだが、思いのほか人が多く、シャトルバスは30分待ちなので歩いて行った。
訓練場のゲートを入ると手荷物検査があって、空港のように金属探知機をくぐり、ペットボトルやビン缶は持ち込み禁止なので、中身を紙コップに移し替え入場した。
チケットは招待席だったので、観閲台側のスタンド席に座る事ができた。なかなかいいポジションだ。
開始の時間が近づくと、スピーカーからドラムの音が流れ始め、リズムに合わせて防衛大の学生から順に行進で入場してきた。4000人ほどが並んでいる。皆さん微動だにしない。
手前左側の帽子の隊員は、俺がスタンドに座る前からその場で警備をしている。十数メートルおきに帽子の隊員が立っているのだが、皆顔や視線は動かしているが、首から下は観閲式が終わるまでの間、立ちっぱなしで少しも動いていなかった。行進する隊員よりも、この人達が一番大変だろう。
駐屯地の人に話を聞くと、彼らは警備の専門ではなく、普段は事務や機械の整備などの様々な職務に就いている若い隊員で、右側の白いヘルメットの人が警備を専門にしている隊員だそうだ。
白いヘルメットの隊員は途中で交代していたが、帽子の若い隊員は交代していなかった。水も飲まずトイレにも行かず、5時間以上立ちっぱなしだったのではないだろうか。命令に従って任務を遂行しているだけなのだろうが、凄い事だ。俺なんかは5分もじっと立ってはいられないだろう。こんな所を見られただけでも今日来て良かった。
10時30分になり観閲式が始まった。
諸々の式典が行われ、いよいよ行進の準備が始まり、皆さん左側に移動して行った。
その時に、入場する時に貰った式次第には、書いてなかったパラシュート降下が始まった。
式次第に書いてなかったので、天候が悪い時はやらなかったのかと、駐屯地の人に聞いてみると
有事の時に、「ちょっと今日は調子が悪いから飛ぶの止めます」
とは言わないので、相当な悪天候ではない限りやるそうだ。そりゃそうだよな。
徒歩部隊の行進の様子。
祝賀飛行の様子。
車両行進で戦車部隊の動画。どれが何式なのかは分からないが、爆音と排気ガスの迫力が凄い。
観閲式の後は、ドリル演技や和太鼓、合同音楽隊による演奏があった。
圧巻だったのは、音楽隊が「序曲1812年」の演奏時にそれに合わせて空砲を撃っていた。チャイコフスキーが書いた譜面には、曲のクライマックス部分で、大砲を撃つ指示が書いてあるからだ。
作曲者の指示通りに曲を演奏できるのは、こんな場所でしかないだろう。貴重な体験だった。
その後は、帰りがけに装備品展示を見た。
災害時に車が通れなくなった道を、このバイクで被災地に一番最初に駆けつけるのだそうだ。メーカーは書いてなかったが隊員に聞くとKawasakiだった。
実戦さながらにカモフラージュした展示には多数の行列ができていた。俺は戦車には興味がないので行列には並ばなかったが、普段は見られない貴重な展示とあって、皆さん近づいて写真を撮っていた。
初めて観閲式を観たが、中々見応えのあるイベントだった。自衛隊が普段から厳しい訓練をして有事や災害に備えているのがよく分かった。でも彼らが出動する事がない、平穏な日々が続くのが一番だけどね。
都橋はる美に行ってきた
福富町の丿貫(へちかん)を出た後に、徒歩3分ほどにある都橋商店街の「はる美」に行った。
二階に看板があった
「はる美」は日替り店主がやっているバーで、金曜日担当の方が映画「あらうんど四万十」に関するツイートをしていたので、前からお店の存在は知っていて、どんなお店のなのか気になっていた。
金曜日に丿貫に行く事ができたので、20時過ぎにお店を訪ねてみると、開店したばかりだった。
金曜日店主のノリスケさん(女性)はご両親が高知県の出身で、以前に高知家ふるさとミーティングの記事で書いた、扇谷ちさとさんのドリームよさこいで踊った事があって、それが縁で映画「あらうんど四万十」を応援していた。
壁には他の曜日の似顔絵バーの店主が描いた、お客さんの似顔絵が飾られている。その店主は、弾き語りで歌も唄うらしい。
バーなのに全面禁煙なので、室内は綺麗でタバコ臭さがないのがいいな。
カウンター7席位の小さなお店で、広さは三坪で、畳六畳分と同じ広さだ。
都橋商店街は全てのお店が同じ広さで、一階と二階で合わせて60店舗入っている。
お店の名前が入ったガイドがこれだ↓
ちょっと前までは空き部屋があったそうだが、今では予約待ちが出るほどの人気の優良物件だ。
二階にあるホッピー好きの聖地「ホッピー仙人」が吉田類さんの酒場放浪記で放送されてから、都橋商店街の人気が高まったとノリスケさんは話していた。
この都橋商店街の面白い所は、トイレは店の中には無い。建物の中央に共同のトイレがあって、お客さん以外に使用されない様に鍵がかかっているのだ。トイレに行く時はお店の人に鍵を貰って行かなければならない。店を出て行く時は、皆同じ様な店構えなので戻った時に、店を間違えないようにと声を掛けられる。間違える人が多いのだろう。
トイレでは、他の店のお客さんと遭遇する事が多いので、鍵を使う事はまれだ。他の店のお客さん同士でも、都橋商店街ファンのような連帯感が生まれて、皆さん譲りあっていて、優しい酔っ払いだった。
金曜の夜なのに「はる美」には俺以外にお客さんは来なかった。誰か来てから帰ろうかと思っているうちに23時を過ぎ、随分と長居をしてしまった。ノリスケさんすみません。
今度訪れる時は、横浜の友達も誘ってみよう。そしてご常連達との会話を楽しんでみたい。
丿貫(へちかん)に行ってきた
横浜に行ってきた。
桜木町の駅を降りて少し歩くと…
初めてきた野毛。金曜の夜だが、時間が早いせいか歩いている人はちらほら。
活魚の店だろうか、表の水槽にイカが泳いでいたり
店先にマネキンが置いてあったり
明らかに日本の商品ではない飲料が売られている自販機
何か独特な雰囲気だ。
大岡川を渡り、福富町の丿貫(へちかん)という居酒屋に入る。
昼はラーメン屋、夜は大矢孝酒造という神奈川県の蔵元の酒専門の居酒屋だ。
夜もラーメンをやってると思って入って来るお客さんもいるそうだが、夜は基本的にラーメンはやっていない。
カウンター10席ほどの小さな店で、男性が一人で切り盛りしていた。
19時のオープン後、間も無く店に入ったが、すぐにほぼ満席になった。人気店のようだ。
一つの蔵元の酒だけを専門に扱う居酒屋は珍しいので気になっていた。
今日訪れたのは、大矢孝酒造の蔵元さんと工場長が来店するとのことで、これを機に行ってみようと思い立ったのだ。
ちなみに大矢孝酒造の主な銘柄は残草蓬莱(ざるそうほうらい)と昇龍蓬莱がある。
この日は涼しく、ビールは頼まずいきなり燗酒からスタートした。メニューには無い蔵元さんおススメの平成24年度醸造のものは独特な味と香りがした。聞いてなかったが、米は雄町だったのかも…味が乗っていて美味かった。
つまみは280円からと良心的な価格だ。俺は冷奴とイカの沖漬けを頼んだ。
お隣のご常連も、蔵元さん目当てに来店されたそうだ。しばし日本酒談義に花が咲いた。
時間は20時を過ぎ、これからもお客さんが続々来店するだろうから、三合飲んだところで、引き上げることにする。
帰り際、蔵元さんと少し話をした。今年、酒造りに使用する酒米の状況は良く、福島の収穫前の圃場が特に良かったと言っていた。その酒米で醸した酒を、何年後かにまた同じ店で蔵元さんと「あの時はこうだったね」なんて言いながら一緒に飲んでみたいものだ。
全国きき酒選手権大会 東京予選
ツイッターで締め切りが近い事を知り、思わず応募してしまった「全国きき酒選手権大会 東京予選」
応募者多数で抽選らしいが、当選のメールが来た。
今年から有料になったそうで、参加費1000円を払って参加してみることにした。
会場に来てびっくりしたのは、2年前に予選を突破して全国大会に出場した友人が参加していた。俺は彼には出場する事を伝えていたけど、自分も出場するとは一言も言ってなかったのに…
彼は俺を驚かせて、終わったら一緒に飲みに行こうと思っていたそうだ。もちろん飲みに行こう!
知り合いが居て、一気にアウェー感が無くなって緊張がほぐれた。と言ってもそれほど練習もしてないし、気合いも入って無かったのだが…
19時になり開会式が始まり、日本酒造組合中央会の方の挨拶と、競技委員長からきき酒の方法や注意点の説明があって、すぐに大会が始まった。
抽選で選ばれたおよそ100名が20名ずつ、5つのグループに分かれていて、まずは2組のグループが別室のきき酒会場に向かって行った。
俺は3組目のグループだった。スケジュールを見ると、あと30分は開会式のあった会場で待機しなければならない。大勢の人がいる中で待たされるのはとても苦痛なので、一人離れて、エレベータホールでストレッチなどをして精神を集中させた。
30分ほどで前のグループが戻って来て、係の人の案内できき酒会場に通された。
テーブルには、酒の入ったコーヒーサイフォンのようなな容器が、アルファベットのAからGまで7個並んでいる。その隣のテーブルには全く同じ様に7個の容器がイロハの順でイからトまで並んでいた。
これは見本の容器。下からグラスで突き上げると酒が入る仕組み。
同じく見本の、口に含んだ酒を吐く「吐き」と呼ばれるもの。
「吐き」には日本酒センターと書かれていた。昔、銀座にあったなぁ。
まず7分間で、AからGまで7種類の酒のきき酒をして、自分の好みの順番で1から7の番号をつける。
その後、1分間のインターバルをはさみ、隣のテーブルのイからトの7種類の酒のきき酒をして、前のテーブルのAからGのどれかを決めるのだが、最初の7分間で好みの順番に番号をつけた。ここが採点で重要視される部分だ。
例えば1つ組合せを間違えた場合、間違えた酒の好みが近い番号なら減点は少ないが、遠い番号なら減点が大きい。
しかし、全問正解しなければプレーオフには出られないだろうから、間違えた時にできるだけ減点を少なくしようという考えは、潔く捨てた方がいいと、前述の友人に教えられていたので、好みの順番はつけない作戦にした。
いよいよ時間となり、きき酒をやってみたのだが、時間を気にしなければならず、かなり難しかった。
結果発表では、6名の方がプレーオフに進出した。
俺の結果は散々で、同じくプレーオフに進出できなかった友人と終了後に、新橋のビアホールに飲みに行った。
きき酒選手権大会よりも飲み会の方が楽しかった。来年はもう出るのはよそう。
きき酒の会場を出る時にお土産として、清酒グラスを貰った。柳宗理デザインの居酒屋なんかでよく見かけるグラスだ。我が家にも日本酒イベントで貰った同じグラスが2〜3個はある。多分、今回の参加者の大半が日本酒ファンであるから、同じグラスを持っている人は多いのではないだろうか。これはいらないよなぁ、と皆さん思っているはずだ。
箱を見ると「佐々木硝子株式会社」とある。
佐々木硝子は2002年に東洋ガラスと統合していて現在は、「東洋佐々木ガラス株式会社」になっているので、少なくとも14年以上前に作られたモノらしい。日本酒造組合中央会の倉庫に眠っていたのだろうか?グラスの底には佐々木ガラスの刻印もあったので、そんな意味ではレアなグラスなのかもしれない。
昨年まではお土産は無かったそうだが、今年からは有料になったので、お土産を用意したのだろう。貰っておいて何だが、グラスなんかいらないよなぁ…
親バカ子バカ展に行ってきた
朝から雨が降っていた10月9日の日曜日、雨は昼前に止んできたので、東京の乃木坂と表参道の間にあるギャラリーに、イラストレーターの「みうらじゅん」さんと、みうらさんの娘でグラフィックデザイナーの「くどうひかり」さんの「親バカ子バカ展」を観に行った。
http://www.1101.com/tobichi/#!/home
みうらじゅんさんといえば、昔から雑誌やテレビでお見かけしていたが、生活感が無くて結婚してお子さんが居るようなイメージが無かった。
こんな立派なお嬢さんが居たとは…
ギャラリーの一階には、みうらさんがひかりさんのために、全国各地の神社を巡って集めたお守りと、ギャラリーを訪れたお客さんが書いた絵馬が飾られていた。絵馬を書くと無料でおみくじガチャが出来るそうだ。
二階に上がっていくと、ひかりさんの幼少の頃からの写真が飾られていた。
ひかりさんからみうらさんへ書いた、幼少の頃からの手紙を、みうらさんは全てファイルしていたそうで、そちらも展示されていた。全てファイルしてあるなんて凄い!
ここまで観てくると、みうら家に遊びに行った様な気持ちになる。
中でも俺が気になった一番の展示物は↓
観光地なんかに置いてありそうな、「親バカ子バカ顔出しカンバン」だ!
グループで来たお客さんは、皆さんこぞって穴に顔を嵌めて撮影していた。
俺は一人で来たのだが、ギャラリーの方にお願いして、みうらさんの方に顔を嵌めて撮ってもらったが、恥ずかしいのでここには掲載しない。
会場の一番奥では、ひかりさん本人が、この展覧会のために製作した「うまい棒親子バカ味」を来場したお客さん一人ひとりに手渡していた。
1200本作った製作費は、みうらさんと、この展覧会の名前を「親バカ子バカ展」とつけた、糸井重里さんが半分ずつ出したそうだ。
10日には無くなりそうなので、欲しい方は早目に行くといいだろう。
パッケージデザインはひかりさんだ。
ひかりさんは陶芸もやられていて、作品をこちらで展示・販売もしていた。
プロジェクターでは、ひかりさんのグッズ販売の紹介動画が流されていて、みうらさんが寅さんばりの口上で商品を面白おかしく説明していた。
俺も、みうらさんの口上に乗せられる様に、ひかりさんの小冊子を購入した。
小冊子のおまけに、ひかりさん作の陶器のピンバッジも頂いた。
ちょっと面白くて、ほっこりした気持ちになるそんな展覧会だった。
13日までやっているので、お近くの方は行ってみてはいかがだろう。
追記
翌日、仕事帰りにまた寄ってみた。
昨日は書かなかった絵馬を書いて、「親バカ子バカおみくじガチャガチャ」のレバーを回すと、
みうらさんは焼肉奉行らしい。吉だった。
その後に顔出しカンバンにもう一度チャレンジした。↓
大江戸日本酒まつり 2016に行ってきた
今日は、東京の神田の金物通りで行われている大江戸日本酒まつりに行って来た。
昨年は、土曜日の開催だったので仕事で行けなかった。神田明神で開催されていた時以来、2年ぶりの日本酒祭りだ。
開始時刻の10時すぎに会場に到着したのだが、すでに多くの人でごった返していた。
すっきりと晴れて気温も上がり、長袖では暑いくらいだ。
馴染みのお店が出店していたので、まずはそこから回って行った。
会場をぶらぶらしてると色々な人に会った。この手のイベントは、たまにしか会えない人に会えるのも楽しみの一つだ。
太田和彦さんや尾瀬あきらさんのサイン会ブースがあったけど、こうして会場を”ふらり”としていたのでパチリ。
日本酒祭りの名物男のOさん。
彼は大阪からこの日のためにわざわざやって来た。大阪の日本酒イベントでもスタッフとして必ず参加している。
日本酒のイベントには欠かせない名物男で、日本酒ファンなら、福耳でいつも朗らかなこの顔を知ってる人も多いはずだ。
今日は神田新八のブースで祭りを盛り上げていた。
大阪の日本酒BAR「蔵朱」のブースのお手伝いをしていた。ちなみにこのアフロヘアはカツラではない。
震災の原発事故以降、自身の電気をほとんど使わない生活を書いた記事が話題になり、報道ステーションにコメンテーターとして出演していた。その後、昨年9月に朝日新聞を突然退社した。稲垣さんの著書「魂の退社」にその辺の事は詳しく書いてあるので、興味のある方はこちらをお読みいただきたい。
稲垣さんは燗酒好きが講じて、ちょくちょく酒蔵で造りの手伝いや、居酒屋でバイトしているそうで、今年のGWに、大阪の燗酒の店「燗の美穂」を訪れた際にバイトをしていて、その時にお目にかかっていた。
そしてこの人が「燗の美穂」の店主の美穂さん。「蔵朱」のお手伝いで大阪から来ていた。苗字は菅野さんではないぞ。
お気づきだろうか?皆さんが同じTシャツを着ている事を。
「COLD BUSTERS」の文字と似顔絵が描かれている。その似顔絵の方が↓
大阪の燗酒の名店、「蔵朱」(クラッシュ)の大将の大西さんだ。
大西さんが大阪から秘蔵のお酒を持って来たと、神田の日本酒BAR「福33」の女将が教えてくれたが、大人数のイベントなので二合チロリでまとめて燗をつけると思っていたので、俺は他のブースを回っていた。
このような、たくさんの人が集まる日本酒のイベントでは、燗酒はまとまった量で温めるのが普通だ。だからこちらが好みの温度に出会う事は少ない。燗酒好きな俺としては、このようなイベントでは、燗酒の味や温度にあまり期待はしていない。
だが異様な人だかりのブースを見ると、大西さんが注文ごとに一杯60ml または 120mlずつ、丁寧にお燗を付けていた。なんというこだわりだろう。俺は思わず続けて二杯も頼んでしまった。
大西さんのお燗テクニックは素晴らしい。温度は熱めだがちょうどいい加減なのだ。思いもかけず美味い燗酒を楽しむ事ができた。
これでまた、大阪に行く楽しみが一つ増えた。