バイクと酒と…

バイクと酒と、その他もろもろ書いてます。

シマウマ酒店とクラドックその2

東京に帰ってからも、また「クラドック」に行きたいと思っていたのだが、仙台へは1月に日帰りでnicoに行く事しかできなかった。
7月に有楽町の書店で伊集院静さんのサイン会があったので行ってきた。伊集院さんに「クラドック」の話しをすると、「あの店は去年閉めたんだ」と言われた。
吉田さんにはご子息がいるが、バーとは無縁の職業に就いておられて、店を継ぐ人はいないと吉田さんが仰っていたのを思い出した。何とも残念だが、ギリギリで「誠実なドライマティーニ」が飲めて良かった。
もうあの場所に行く事は無いのかと思っていると、シマウマ酒店の3店舗目「さかな屋sanco」が今月オープンしたらしい。その店の場所が「クラドック」の入っていたビルの1Fだったのだ。何か不思議な縁を感じた。驚いてIさんにメールをすると、「クラドック」がまだ閉店してないような返信がきたので調べるみると、新しいオーナーが内装も店名もそのままの「クラドック」を先月、再オープンさせていた。二重の驚きだ。
それにしても、Iさんは1年ごとに新店をオープンさせている。店を増やすためには、資金を工面しなければならないし、人も増やし雇用しなければならないので、大変な事も多いだろう。現状を維持していくのにも、苦労している人が世の中にはたくさんいるのに、この成功は見事だ。
俺は、Iさんが飲食店経営者として何故成功しているのか考えた。きっとIさんはお金が好きなのではなく、食べる事や飲む事が大好きなのだろう。そんな人であれば、自分が行きたいと思う理想の飲食店を作るはずだ。お金が好きな経営者はそんな事を考える事はできないだろう。酒や料理も適当な物しか揃えられないし、店の事を人に任せて金勘定だけを考えていると、ホスピタリティなどとは無縁の飲食店になってしまう。
シマウマに行くたびに思うのは、スタッフ全員が明るく接してくれて、こちらも気分が楽しくなってしまう。料理はいつも同じメニューではなく、常に試行錯誤を重ねて進化している。庶民的な居酒屋価格だが、料理人はその時々の旬の素材を生かし、巧く調理して出してくれている。こんな全力で疾走しているかのような店は、来店するお客さんも見逃す事はないはずだ。だから「シマウマファン」が増え続けているのだろう。

あぁ、書いているうちにまた仙台へ行きたくなってきた。

シマウマ酒店とクラドック

昨年8月の出来事

 

昨年の8月に仙台を訪れた。すると「シマウマ酒店」は同じ仙台市内にもう1店舗を新しく出店していた。「にほんしゅ屋 シマウマ酒店nico」という。シマウマの二店舗目だから一個二個のnicoだ。
広瀬通沿いの仙台駅に近い立地の路面店で、人通りも多く、カウンターとテーブル席のオシャレな内装で、女性も一人でもふらりと立ち寄れる、感じの良いお店だ。冷酒はグラッパグラスで提供している。細かい所にIさんのこだわりがある。見た目もオシャレだ。女性がこのグラスを傾けて飲んでいる姿は美しい。もちろん燗酒も飲める。
料理は中華だけでは無く、居酒屋メニューもあって多彩だ。色々食べてみたいが…これからはしご酒をする俺に、店長のトモゾウ君が少量ずつ酒肴を皿に盛ってくれた。どれも美味い。気軽に入れて燗酒が飲めて料理も美味しい、しかも店員さんのホスピタリティも抜群とあればこれは、流行らない訳がない。そう思いながら二軒目「シマウマ酒店」に行った。店内はお盆だというのに満席だ!一年来てない間にこの店のファンが増えたようだ。少しの間、外のカウンターで燗酒を飲みながら待っていると店内に通された。常連のお客さん同士が、満席の店内でお互い気を遣いつつ和やかに飲んでいた。いい雰囲気の中でしばらく飲んだ後、俺は気分を良くして店を出た。
実はこの日、仙台を訪れたのは他にも理由があった。「クラドック」というバーに行くためである。伊集院静の文庫本のエッセイに、仙台にあるバー「クラドック」の吉田荘一さんのドライマティーニが美味である、と書いてある。巻末を見ると、初出は15年程前の週刊誌の連載との事なので、今でも店があるのかは分からない。Iさんにも聞いてみたが知らなかった。ネットで検索すると店の場所と電話番号は分かったので、店に電話をかけてから訪ねてみた。国分町の中心からは少し離れたビルの地下にあった。
店に入ると、「クラドック」のマスター吉田荘一さんが一人で迎えてくれた。普段はマダム(奥様)と二人でお店をやられているそうだ。店内に俺の他には客はいない。45年の歴史ある店内を見回すと、壁には伊集院静長友啓典の作品と小貫政之助の絵画が飾られていた。
席に着き、早速ドライマティーニをお願いすると吉田さんは作り始めた。カウンターの中の吉田さんは高齢だが背筋がピンと伸びていて、ドライマティーニを作っている姿は迫力すら感じる。50年以上のバーテンダー人生で、何一つ妥協を許さず、何万回も繰り返してきたであろうカクテルをを作る所作は、どんな素晴らしいテクニックを持つ優秀なバーテンダーも真似は出来ないだろう。
目の前に供されたドライマティーニを一口飲んでみた。美味い。カクテルに関して俺は素人だ。そんな人間が吉田さんのドライマティーニをつべこべ言えるはずもなく、美味いとしか言えない。
その後、吉田さんと色々お話をしたのたが、伊集院さんが「誠実なドライマティーニ」と評する理由が分かった。吉田さんからすると息子のような年齢の、俺のような人間にも、きちんと対応してくださる。吉田さんのその姿勢を一言で表現するなら「誠実」だ。

この日は久しぶりのいい酒だった。吉田さんには、また来ますと行って店を出た。

 

仙台のシマウマ酒店

俺は昔、数年間東北各地で仕事をしていた事がある。東京に帰ってきて何年も経つ今でも、まとまった休みには、東北の馴染みの街の酒場へ、気ままにふらりと行くことがある。

2年前の8月に、以前から気になっていた仙台市の居酒屋に行った。その店は中華料理と純米酒の燗酒がウリの店だ。中華と燗酒?と思う方もいらっしゃるだろうが、これが意外と合うのだ。あるようで無かった、そんな一風変わった店が仙台にある。俺は楽しみにしていた。

店の名前は「シマウマ酒店」という。行ってみると厨房には中華の料理人がいて、ホールにはお燗を付けるお燗番のお姉さんと、俺と同世代の店長と思しき男性が働いていた。

料理も美味しく、日本酒の種類も豊富で、全てきちんとお姉さんが燗を付けてくれる。

こんなカジュアルで気軽に入れる、良い感じの店が仙台にあったんだ…と嬉しくなっていると、ふとカウンターの張り紙に目が行った。

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3名以上、3500円+500円で純米酒が飲み放題とある。これだと、俺や俺の友人達だと一人が最低でも五合以上は飲むから(燗酒だと冷酒より量が多く飲めるのデス)、お店としては儲けが少なくなるか、または赤字だ。おせっかいとは思いつつ、ホールの男性にその事を伝えると、「そんな事もあるかもしれませんが、たくさんの人に純米酒を飲んで頂けるなら、それはそれで良いんです」と言う。俺はその言葉を聞いて、このお店が好きになった。帰りがけ、男性に名刺を頂くとその人は社長だった。社長のIさんは「シマウマ酒店」の他にも仙台で飲食店やレストランを経営している。

 その2ヶ月後、東京の日本酒のイベントで偶然にも、Iさんと燗番娘のDさんに再会した。ちょうどそこに太田和彦さんが現れた。太田さんは居酒屋についての著書が多数あり、BS11で全国の居酒屋を探訪するテレビ番組に出演していて、日本酒業界では有名人だ。太田さんとは少し面識があったので、その場で仙台から来た二人を、太田さんに紹介する事ができた。太田さんが番組で「シマウマ酒店」を訪れて貰えると嬉しいな。

 

まるごと高知

またまた今回も高知ネタで…

 

東京の中央区銀座一丁目高知県のアンテナショップ、「まるごと高知」がある。俺はこの近くに用事があって、立ち寄ることが多いのだ。

今回は酒ブログらしく「まるごと高知」地下一階の酒売り場で、有料試飲の利き酒セットを試してみるために昨日の夕方、銀座へ行ってみた。

来月行われる、全国きき酒選手権大会の東京予選に応募したところ、抽選で選ばれて出場する事になった。どれだけの応募があったかは分からないが、抽選であろうと選ばれたからには、全力で挑まなければ、選に漏れた方達に申し訳ない。俺は普段から冷たい日本酒は口にしないので練習のために、冷酒を少量ずつ飲めるところを探していたところ「まるごと高知」の事を思い出したのだ。

地下に行く前に一階の売り場へ。ここは高知の農産物や海産物にお菓子などが売られている。俺が幼い頃から慣れ親しんだ四万十市の銘菓、あの「泰作さん」を探したが、無い。高知市近郊のお菓子と、宿毛市の菱田ベーカリーの「羊羹パン」はあるのだが、「泰作さん」は無かった。「泰作さん」は日持ちがしないのだろうか?「羊羹パン」は冷蔵庫に置いてあった。「羊羹パン」は東京の各地にある成城石井という、ちょっと高級なスーパーに、いつも置いてあるのでスルー。それにしても「泰作さん」が食べたかったなあ。

そして地下一階のお酒売り場へ行くと、時刻は18時30分だった。利き酒は土日は18時までと書いてあるのだが、カウンターの中のお姉さんに聞いてみると、「まだ大丈夫ですよ」と言うので利き酒セットの3種類を、数種類の中から何本かセレクトできるのだが、似た感じの3種類でお願いした。f:id:majes:20160917193646j:image

全て「ひやおろし」で、右から司牡丹65%精白の純米、美丈夫55%精白の純吟、豊の梅の50%精白の純吟だ。

ひやおろし」とは冬から春にかけて造った酒を、ひと夏の間タンクで貯蔵し、秋になってから屋外の気温が、タンクの中の温度より下がった頃を見計らって出荷するお酒で、加熱殺菌は通常二度行うところを、一度のみなので少し生酒っぽい香りが残っている。

少しずつ飲んでみた。酒は毎日よく飲んでいるが、利き酒と意識して飲んでいないので、違いがよく分からない。すると隣のお客さんが、吉田類さんが選んだという利き酒セットを注文していた所、カウンターのお姉さんが他の店員さんに何か言われていた。どうやら利き酒は、18時までだったようだ。しかし、吉田類の利き酒セットのお客さんは俺が試飲中だからかOKだった。そんなゆるい感じが高知のアンテナショップらしくていいね。

肝心の酒は、何度も少しずつ飲んでゆくと、それぞれの味の違いがほんの少しだけ分かるようになった気がした。しかし、このレベルでは東京予選は通過できないだろう。100人出場して本選に出場できるのは2人だけなのだ。7種類を利いて、全問正解しないといけないはずで、このままではかなりマズイ事になりそうだ。なんとかせねば…

 

 

 

 

あかつき館とポコペン その2

昨年末の出来事。その2

 

高知駅から、「汽車」に乗って移動する事90分。「あかつき館」と「ポコペン」のある黒潮町の土佐入野駅に到着した。先ずは「あかつき館」へ。

 

駅から海の方に向かって歩いて行くと、海の近くなので防風林があり、その中を道が伸びている。真っ直ぐ進むと左手に神社の鳥居が見えてきて林が開けた。そこが「あかつき館」の入口だった。
館内に入ると、一階が図書館、二階が上林暁文学館になっていた。二階に上がろうとすると、途中に小さくてきれいな貝殻がたくさん置かれている。その貝殻を1つ持って二階に行き、貝殻入れに入れる。貝殻の数で入館数をカウントしているようだ。アナログだが情緒があって、いかにも海の側にある文学館らしい。
二階に上がると、展示物を入れ替えている男性が居たので声をかけると、その人があかつき館館長のYさんだった。俺は自己紹介をして、ここを訪れるきっかけになった、安部夜郎さんの本の事や、高田馬場で偶然手に入れた上林暁の本の話をすると、大変喜んで頂いた。
館長さん自ら 館内の資料を丁寧に説明して頂き、上林暁がどんな生涯を送ったかがよく分かった。
1時間以上館内に居ただろうか、そろそろ「ポコペン」の開く時間、おいとましようと挨拶すると、Yさんが「これからどちらに?」と言われたので、あらうんど四万十の話をして実家に帰る前にこれからロケ地の「ポコペン」に寄って一杯飲って行く事を告げると、Yさんは間髪入れずに「私もご一緒します」と仰った。わざわざ遠くから訪ねてくれて、近くで飲むなら一人寂しく酒を飲ませるわけにはいかないと言うのだ。Yさんの気遣いに俺は感動し、嬉しくなった。Yさんは仕事を片付けてから行くというので先に「ポコペン」に向かう。
映画「あらうんど四万十〜カールニカーラン〜」のロケ地「ポコペン」は土佐入野駅のすぐそばにある。食べログには駅から30秒と書いてあるが、30秒もかからないくらいだ。
店内に入ると、映画の中のイメージだとカウンターとテーブルと座敷が一部屋のこじんまりとした店に見えたが、実際には他にも座敷があって、かなり大きな居酒屋だった。
晃、武、ヤス、シュンの4人が座っていたテーブルのすぐ近くのカウンターに座った。初めて来たのに、初めて来た気がしないのは不思議な気持ちだ。映画の中と同じでやはり雰囲気がいい。映画のシーンを思い出しながら一人で飲っていると、Yさんが やって来た。乾杯をしてから、色々な話に花が咲いた。
Yさんは俺の通っていた高校の先輩だった。高校時代は、文化祭で上林暁の研究の発表をされていて、その頃から上林の文学に興味を持たれていたので、筋金入りの上林暁ファンだ。大学卒業後は小学校の教壇に立たれ、定年退職後の2年前、あかつき館の館長になられたそうだ。
Yさんが「あかつき館」の館長になってから様々なイベントが企画されている。中でも昨年の10月には、あの芥川賞作家の又吉直樹を、「あかつき館」に招き講演会が行われた。
一般的に館長というと、名誉職のように感じる方も多いと思うが、「上林暁文学館」は学芸員も司書もおらず、Yさんが一人で実務をしている。展示パネルもYさんの自作だ。企画展の資料を外部から借りる場合は、Yさん自身が受け取りに行き、展示が終了するとYさんが返却に行く。遠方から来られる方には、休館日でも対応する事もある。人と人との繋がりを大切にしたいと仰っていた、そんなYさんの思いが、人と人とを繋げて、又吉直樹黒潮町まで呼びよせたのだろう。

今宵の酒宴も、俺が乗る列車の時刻が近づいてきて、お開きとなった。お互いにまたの再会を誓いYさんは帰って行った。Yさんは会計の時に俺の分も払ってくださっていた。急に酒に付き合っていただいた上に、初めてお目にかかった人にそこまで甘えるのは忍びない。何かお返しする事ができないか、東京に帰ってからも考えていた。

そこで、俺はYさんを微力ながらでも応援できればと思い、地元の高知新聞の投稿欄に文学館の事を投稿した。俺の稚拙な文章では掲載されないだろうと思っていたら、思いがけず掲載された。f:id:majes:20160915230507j:image

Yさんには投稿の事を知らせてなかったが、読んで頂いたのか、当日すぐに感謝のメールが来た。この投稿がどれほどの効果があったかは分からないが、日本中の文学館の中で東京から一番遠くにあるが、一番美しい場所にある文学館に、一人でも多くの人に足を運んでいただき、たくさんの貝殻を積んでもらいたい。

 

追伸

安部さんのボトルの店もYさんに教えていただき訪ねる事が出来た。

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あかつき館とポコペン その1

昨年末の出来事。(前回の記事の続き)

 

年末年始の休みの直前で、高知行きの高速バスの予約が取れた俺。年末だけど高知県黒潮町の「上林暁文学館」のある「あかつき館」も映画「あらうんど四万十〜カールニカーラン〜」のロケ地「ポコペン」も到着日には営業している事を確認したので、一路高知へ出発。

高知には早朝に到着し、日本三大がっかり名所の「はりまや橋」で下車。徒歩でサウナルーマプラザ高知へ。まずはサウナでゆったりして旅の疲れを癒す。その後は、朝飯を食おうと近くの「ひろめ市場」へ行ってみると、さすがは高知だけあって、朝から飲めるメニューばかりだ。ここに長居をすると、朝から飲んだくれてしまいそうなので、近くの喫茶店でモーニングを食べた。酒は「ポコペン」まで我慢しよう。

その後、「ポコペン」の開店時間まではまだかなりあるので、高知県立文学館へ行った。寺田寅彦中谷宇吉郎の特別展示を見るためだったが、時間がたっぷりあるので常設展示もすみずみまで見た。高知県出身の作家が多いことに感心する。

さらにまだまだ時間がある。高知城にも登った事がなかったので登ってみよう。現存十二天守のうちの1つ。大阪城名古屋城みたいに復元ではないので楽しみだ。

簡単には攻め込まれない様に作ってあるから、天守までの距離は相当あった。これからいよいよ天守という所まで登ってきて城に入る直前、看板に休業日と書いてあって入ることができなかった。年末年始の休業ならば仕方がないか。しかし観光地の高知城が12月26日で休みとは…天守のすぐ近くの高い所まで、早朝高知に着いて、寝不足のまま、はあはあ言いながらやっとの思いで登ってきたのに、休業日って登ってくる時に、何処にも書いてなかったぞ!と言いたかったが、休業日だから誰もいないので、おとなしくそのまま来た道を引き返す。

すると途中の茶屋で、高知名物アイスクリンを売っている。アイスクリームより乳固形分や乳脂肪分が少なくサッパリした味で、ソフトクリームの様に、コーンに盛られたアイスだ。紅白のパラソルが目印で、懐かしい!冬だが山道を登ったので、暑くて身体が欲しているので久しぶりに食べた。

アイスクリンは高知だけだと思っていたが、昔、仕事で秋田県に住んでいた時に、国道沿いに紅白のパラソルがあって、同じ味のアイスを売っていたので食べた事がある。秋田では高知のようにアイスディッシャーではなく、おばさんがヘラですくってコーンに盛っていたので、地元の人はこのアイスを「ババヘラ」と呼んでいた。初めて聞いた時は耳を疑い、教えてくれた人にからかわれているのではないか?と思ってしまったが、秋田では「ババヘラ」がスタンダードな呼び名だった。

では、おばさんと呼ぶのが、憚られるような年齢の女性が売っていても「ババヘラ」なんだろうか?それは失礼ではないか?おじさんが売っていたならば「ジジヘラ」だったのだろうか?高知城の茶屋はおじさんが売っていたのだが…

高知市内を散策したのち、「電車」に乗って高知駅へ。「電車」とは市内を走る路面電車で、またの名を「とでん」(昔は土佐電気鉄道、今はとさでん交通)と言う。JR四国の列車は「汽車」と呼ぶのが高知流だ。

高知駅から「汽車」に乗って「あかつき館」と「ポコペン」がある黒潮町へ。90分ほどで最寄りの土佐入野駅に到着。先ずは「あかつき館」へ向かうのだ。

 

 

上林暁とバーボンのボトル

映画 「あらうんど四万十〜カールニカーラン〜」を観てから、高知に興味がわいてきた俺。

映画の上映会の打ち上げに参加した時、同級生から漫画「深夜食堂」の作者、安部夜郎さんの話を聞いた。安部さんも同郷の人で、学年は違うが、通った幼稚園から小中高校までが同じ学校の先輩なのだ。その後、安部さんの著作を数冊購入した。

その中で、四万十市の食について書かれた本を開くと、最初のページに、安部さん行きつけの新宿のとある店にキープされているバーボンのボトルが描かれている。

ボトルには「四万十の 青き流れを 忘れめや  上林暁」と書いてある。20数年前に安部さんが高校時代の恩師と店を訪れた時に、恩師が上林の詩を書いたボトルを、何回も中身を入れ替えながら使っているのだ。新宿なら仕事場からも近い、俺もそのお店に行って、郷土の先輩の歴史あるボトルを見てみたい。

上林暁(かんばやしあかつき1902年〜1980年)とは高知県黒潮町出身の小説家で、最近では芥川賞作家の又吉直樹上林暁のファンと公言していて話題になった。

実は、その上林暁も俺の高校の先輩なのだ。

映画「あらうんど四万十」で晃が高校時代の陸上部の恩師石井監督(間寛平)のいる高校を訪ねるシーン、あれは実際に俺の母校の高校で撮影されている。石井監督の立っていた後方に、上林暁の石碑がある事を思い出した。

上林暁という名前は高校時代から知っているが、実は上林の小説を読んだことがないので、全く知らなかった。

小説を読んでみたくなって、本屋で探してみたが、著作は見当たらない。亡くなって35年以上経っているので新刊はあるはずもない。図書館に行くしかないか?と思いつつ、ふらっと入った高田馬場ブックオフ(古本屋)で、少し年配の店員さんにダメ元で、「上林暁の本は、ありませんか」と訪ねてみた。すると、俺が「かんばやしあかつき」と発音しただけで、名前がどのような漢字なのかも、一切説明をしてないのに、「一冊だけありますね」とすぐに見つけてくれた。ブックオフ高田馬場店は商品数は多いが、バーコード管理はしてないので、どこに何があるかはっきりとは分からないはずだ。しかし、この店員さんは上林暁の事を知っていて本がどこにあるか覚えていたのだろう。声をかけたのがこの人で良かった。しかも1970年発行の井伏鱒二との文学全集を一冊108円で購入できた。

それから、さらに上林暁の事を調べてみると、彼の故郷、高知県黒潮町に「あかつき館」という施設があり、その中に「上林暁文学館」があった。そのあかつき館の館長さんのブログに安部さんのバーボンのボトルの記事があって、しかも館長さんは最近その店に行ってきたとある。あかつき館に行って館長さんにお店の事をお尋ねすれば、教えてもらえるだろうか?文学館も見てみたい。しかもあかつき館近くには「あらうんど四万十」で4人が集まる居酒屋のシーンが撮影されたお店「ポコペン」が実際に居酒屋「ポコペン」として営業している。これは行ってみなければ!

年末の休暇が割と早く始まり、高速バスも直前で予約できたので、12月25日の夜に東京を出発した。