「シマウマ酒店」(本店)と「さかな屋sancoシマウマ酒店」に行ってきた
この季節に仙台を訪れて、どうしても食べておきたいものがあった。
「セリ鍋」だ。宮城の郷土料理らしいが、最近まで知らなかった。セリの葉っぱの先から根まで全てを、鶏肉または鴨肉などと鍋に入れて食べるのだ。
セリは俺が秋田に居た時、きりたんぽ鍋には必ず入っていたので馴染みの食材だ。秋田でも根がそのまま鍋に入っていて、地元の人は根の部分に旨味があるのだと言っていた。
「シマウマ酒店」では、宮城県名取市のセリ農家さんの、こだわりのセリを使った鍋を数日前から始めていたのだ。
各店舗で味が違うそうで、nicoでは豆乳のセリ鍋、sancoは鴨肉と鴨の団子のセリ鍋だという。
nicoではトモゾウ君と貫ちゃんの渾身のアテを楽しんだので、sancoで鴨の「セリ鍋」を食べる事にしよう。
その前に「シマウマ酒店」(本店) のお燗番に期待の新人が入ったそうで、Iさんと本店へ向かい、お燗を付けてもらった。
情けないが、ここでもう既に酔っ払っていた様で、写真を一枚しか撮っていなかった。
お燗番のメグミちゃんは新人なのに、もう既にお店に馴染んでいて、この店でお燗番を何年もやっている様な感じさえある。詳しくは聞いていないが、貫ちゃんの様に飲食をやっていて、シマウマにお客さんで来て、魅力を感じたのだろう。今度来る時は、是非ともじっくりと飲んで、その辺の話を聞いてみたくなった。
その後Iさんと一緒に、いよいよ初めてのsancoに向かった。
昨年の夏に、sancoの入るビルの地下にある老舗のBAR「クラドック」を訪ねている。昨年末に惜しまれつつ閉店したが、今年の夏から新しいオーナーが店名もそのままに再オープンしていた。後で行ってみよう。
sancoの店内に入ってすぐのテーブルに、こちらを向いて座っている見覚えのある顔が…
なんと福岡の杜の蔵の溝口さんが居るではないか!
溝口さんとは10年以上前からの知り合いで、今年の8月に大阪の「べにくらげ」で久しぶりに会っていた。今度は仙台で再び会う事になるとは、驚くばかりだった。
次の日に盛岡で酒の会があって、この日は仙台に一泊するそうで、仙台に純米酒の燗酒を根付かせようと孤軍奮闘している、「酒坊主」こと池田酒店の池田さんと一緒に訪れていた。
再会を祝して乾杯した。
溝口さんは、長年日本酒の営業畑を歩まれて来た。現在の肩書は取締役営業部長と、世間一般の会社ではいわゆる”偉い人”なのだが、構える様な感じはなく自然体で、気軽に話しかけられる雰囲気のおじさんだ。真面目な会話の中に駄洒落(親父ギャグとも言うが…)を散りばめて周囲の人を煙に巻く。だから溝口さんの周りで飲んでいる人は彼の駄洒落を「今のは面白くないな」などと言いながらも、皆ニコニコと飲んでいるのだ。この日も頭の体操と言いながら、駄洒落を言っては、「溝口ワールド」に引き込んでいた。
池田さんとも以前から会ってみたかった。
仙台で年に一度、「純米酒bowl」という純米酒の大きなイベントが開催されている。そのイベントの主催者が池田さんなのだ。
仙台は何かと縁があって、ほぼ毎年訪れているが、ここ数年で燗酒を飲める居酒屋さんがグッと増えてきたのは、彼のそんな地道な活動が実を結んでいるのだと思う。
話に夢中になっていると、いつの間にか目の前に「セリ鍋」が!酔っ払っているので写真を撮っていない。
池田さんに取り分けて頂き、食べた。美味い!
仙台には「セリ鍋」のシーズンが終わる春までにはもう一度来たい。その時は「セリ鍋」をもっと味わえる様にsancoから訪れる事にしよう。
今回の仙台訪問は、俺は途中から酔っ払っていたので、Iさんにはたいへんお世話になったと言うよりご迷惑をおかけした。Iさんと一緒に飲んでいなかったら、多分sancoまでは辿り着けなかったんじゃないか?Iさん有難う御座います。仙台に行く度に、ご迷惑をお掛けするわけにはいかないので、次に訪れる時は、内緒でふらりと現れます。
今回の旅飲みは、大阪から仙台へ向かい、仙台では旅の疲れからか、または前日の飲み過ぎからか、すぐに酔っ払っしまった。いいタイミングで連休を取れたとはいえ、少し欲張り過ぎたようだ。しかし、東京では中々出会えないお店ばかりなので、新鮮だった。 特に仙台はこれからどんどんと面白くなりそうだ。仕事の出張などで訪れる機会が増えるといいな。
「シマウマ酒nico」に行ってきた
大阪に続き、仙台に朝着いてサウナに入って体調を整え、「シマウマ酒店」の中で一番早い16時が開店時間の「にほんしゅ屋シマウマ酒店nico」から行ってみた。
平日の16時とあってまだお客さんはいない。
店長の和食担当トモゾウ君と中華担当の貫ちゃんが迎えてくれた。
この店は、最初にお通しと一緒に燗酒が平盃で一杯出てくる。
この日の酒は、福岡の杜の蔵だった。そういえば夏に大阪の「べにくらげ」で杜の蔵の溝口さんに偶然会った。トモゾウ君にその時の話をすると溝口さんはこの店にも来た事があるそうだ。
一杯目は「神亀」の燗酒を注文。大阪から仙台に来ると流石に寒さを感じるので、さらに燗酒が美味い。
料理は「色々適当に…」とお願いすると、二人が次々と酒のアテを出してくれた。
牛スジのだまこ汁。だまこ汁とは秋田の郷土料理で、きりたんぽではなく、ご飯を潰して丸めた「だまこ(団子)」が鶏の出汁に入っている。仕事で秋田に住んでいて、食べた事があるので懐かしい。鳥ではなく牛スジだが、鶏よりも滋味があってイイね。
白子とあん肝ポン酢。もう酒飲みにはたまらない。特にあん肝は「神亀」に合う。
写真はないが、貫ちゃんが中華なべに油を入れて何かを炒めていた。油のいい香りがしているので何が出てくるのか楽しみにしていると、ラム肉の餃子だった。香りのいい油は胡麻油だそうだ。高い油を使っているんだな。これも燗酒に合う。
〆さばと黒ムツの刺身。サバは〆め具合も程よく黒ムツも美味い。燗酒をとめどなく飲んでしまう。
するとトモゾウ君が、ポン酢がまだあれば付けて食べてみてくださいと、黒ムツの皮。こんな細かなサービスが嬉しい。
酒粕&筋子とたこわさ。
味が酒粕と言われないと分からなかったので、トモゾウ君に訊ねると、味醂の粕を使っているそうだ。たこわさはかなり辛いので、少しずつ食べてくれとの事。山葵は直前にきざんで蛸と和えているから辛味が強い。その辺の居酒屋で出てくるたこわさとは別物だった。これだけで何杯も飲めそうだ。
他にも野菜の煮浸しや、宮城の酒を飲んだ。
しばらく一人で飲んでいると、社長のIさんが来てくれてご一緒した。近況やお店の事など興味深い話を聞いた。
「シマウマ酒店」で働いている皆さんは、お客さんとして通っていて「この店で働きたい」と言って入社してくるのだそうだ。
中華の料理人の貫ちゃんも最初は「シマウマ酒店」のお客さんだったのだ。中華と燗酒というスタイルが、彼の目には新鮮に映り、魅力を感じたのだろう。
そして 今はnicoでトモゾウ君と一緒に働いている。畑違いの料理人が側にいるのは、お互いにとてもいい刺激になるはずだ。
Iさんは、若い人はうちの会社で実力を付けて、ゆくゆくは独立して欲しいと仰っていた。
優秀な社員が抜けたら困るだろうに、社員の幸せの方が大事と思っている。太っ腹な社長だ。そんなところがIさんの元に人が集まってくる理由なのだろう。
大阪から仙台に向かった
大阪で燗酒を堪能した翌日、仙台に向かった。
なぜ大阪にいるのに、わざわざ仙台なのか?それは以前書いたこちらをご覧ください。
その日は平日だったので、新幹線や高速バスよりLCCを利用するのが安くて速い。
早朝の7時10分に関西空港を出発する便を予約した。
何があるか分からないから、空港には出発の一時間前には着いておきたいので、4時には起きなけらばならない。昨日は「燗の美穂」で閉店時間まで飲んでいたから三時間くらいしか寝られないのに起きられるのかって?
ご心配なく。仕事の時はそれほどでも無いが、遊びは真剣なので起きられるのです。
千日前の宿を出て、5分ほど歩いた南海難波駅近くの松屋で朝食。
東京では食べられなくなった、290円の牛めし並。首都圏では、チルドで配送するプレミアム牛めし並380円。値段も味も全然違っていて、なんだか懐かしい。
関西空港駅を降りてすぐのエアロプラザには、旅行者のための休憩所があって、シャワールームやスマホが充電できる設備があった。
今回利用するピーチアビエーションの第二ターミナルは、エアロプラザからシャトルバスで10分かかる。
平日の早朝なのに搭乗手続きの長い行列が出来ていた。
時間に余裕を持って空港に来たつもりだが、人が多くて先になかなか進まず、列に並んでいた途中で搭乗手続きの締め切りが近づき、仙台行きの客が呼ばれ優先手続き口に案内された。
保安検査のゲートをくぐり先へ進むと、いかにも安っぽ〜い鉄骨むき出しの搭乗口が。
その先は屋外で目の前に飛行機が駐機してある。
飛び立ってすぐ、淡路島と明石海峡大橋が見えた。
伊勢湾。空の青さが濃い。もっと上の方は紫に近い色だった。
富士山と甲府市あたりが見えている。
仙台空港には定刻に着いたが、後方の席だったために飛行機から出るのに時間がかかり、仙台へのアクセス電車には間に合わず、次の電車まで30分以上あるので、空港循環バスで館腰駅へ向かい電車で仙台駅へ。こちらの方が200円ほど安かった。
夜まで時間がたっぷりあるのだが、サウナはまだ少し早い。そこでSS30という高層ビルの無料の展望台に行った。
一緒にエレベーターで上ってきた地元のサラリーマン風のおじさんが、俺が観光で訪れたと思ったのか、ここから見える風景について説明をしてくれた。仙台は東京と違って親切な人が多い。
景色を充分堪能していたら、ちょうど良い時間となり、いつもの国分町にあるサウナへ。夜に備えて休養する。
「蔵朱」「べにくらげ」「燗の美穂」に行ってきた
今回の旅の最大の目的は、先月の「大江戸日本酒まつり」で見事な燗をつけていた大西さんの店、「蔵朱」(クラッシュ)に行く事だ。
京都から昼過ぎに大阪に着いてサウナに入り、夜行バスの旅の疲れを癒し、充分に体調を整えてから店に向かった。
なんと、夏のツーリングの時に立ち寄った「べにくらげ」のすぐ近くだった。
店内はカウンター6席と小上がりが二つで、大西さんが一人で切り盛りしている。流れているBGMは落語だ。
酒は西日本の酒蔵の酒を中心にかなりの種類が置いてある。
まずは、奈良県の久保本家酒造の数種類ある「睡龍」の中からお任せで注文した。
品書きには、大西さんが考えた「睡龍」のキャッチコピー「孤高の発酵アーティスト」と書いてある。この酒を造っている杜氏の加藤さんの事だ。
飲んでみた。
うん!これだ!この味だ。この温度だ。やはり大西さんのお燗は素晴らしい。大阪まで来て良かった。
気になる料理の品書きは、数多くあってどれから注文するか迷ってしまった。
結局、鰆の昆布〆を注文する。
鰆の旬は名前の通り春だと思っていたが、食べると脂が乗っていた。〆具合もいい。醤油の味も好みのものだった。酒の肴はこういうのがいいんだよな。これだけで三杯はいけるぞ。
と言うわけで、次々と酒を頼んだ。
この他にも飲んだが、撮り忘れていた。
俺は「大江戸日本酒まつり」で大西さんの燗酒を飲んでから、彼がどの様にして燗酒にハマってこの店を始め、燗酒の名店として今日に至るのか、興味があった。
俺と大西さんは歳が近く、お店を始めた頃と俺が燗酒を飲み始めた頃がほぼ一緒である。
その頃の日本酒は、冷やして飲むのが当たり前で、それが粋であり通の飲み方とされ、燗に向いた真っ当な酒を燗で出してくれる居酒屋など無かった。
燗を付ける設備がある店で、燗に向いた酒を燗にして欲しいと頼んでも、店の人にそんな事をするのはもったいないと言われ、燗酒の旨さを知る人間にとっては、肩身の狭い思いをした時代だった。
その日は、俺の他にお客さんが三組いたので大西さんは忙しく、ついにその事を聞く事は出来なかったが、彼はきっと一人で日本酒の飲み方の概念を変えようと、真っ向から立ち向かって行ったのだろう。苦労も多かったと思う。
その話は俺がいつか大阪に行って、大西さんと飲む機会があればその時までとっておこう。仕事の合間に出来る話でもないだろうから…
二時間程ではあったが充分に大西さんの燗酒を堪能出来た。
「蔵朱」を後にしたら、今度はすぐ近くの「べにくらげ」へ。
酔っていたのか、店先の生け花の写真しか撮っていない。
連絡しないで行って突然俺が現れたので、大将と女将はびっくりしていたが、事情を話すと納得していた。
「べにくらげ」は燗酒オンリーでは無いので、ストライクゾーンの狭い俺が飲めるお酒は「蔵朱」よりは限られてくるのだが、大将の作る料理と女将の燗酒が絶品で、いつも訪れるのが楽しみなお店だ。
訪れた時間が、一旦お客さんが引けた頃合いだったので、ご常連や大将と女将と酒に関する情報交換や、前回来た時に会った福岡の酒造会社のMさんに教えてもらった静岡の四川料理と燗酒の店に行った報告も出来た。
まったりと飲んでいると、お客さんが来始めたので、酔っ払いは店を後にした。
夜も更けて、微妙な時間帯でお店に入れてくれるかどうかギリギリだったが、せっかく大阪に来たので更にもう一軒。
博労町にある「燗の美穂」へ。
お分かりだろうか。この平盃かなりの大きさなのだ。
京都で買った平盃と比べるとこんな感じだ。
店主の美穂さんによると、これだと燗冷ましも出来てゆっくりと飲めるらしい。
俺はせっかちだから、どんどん飲んでしまった。何度も平盃に注がなくていいのだが、その分飲む量は確実に増える気がする。
そんな店主の策略(?)にハマって、遅い時間にもかかわらず、三杯も飲んでしまった。
画像は「蔵朱」にも「べにくらげ」にも無かった、大阪では珍しい、いつも飲んでる神亀。
さすがに三店舗巡ると、すっかり飲み過ぎてしまった。この様なはしご酒は、旅ならではだ。本当は一店舗ずつゆっくりと飲みたいのだが、何泊もする訳にもいかず、店主の皆様にはご勘弁願いたい。
京都に行ってきた
秋葉原からこれに乗っていざ西へ。
下車したのは京都。
京都に行くのが今回の旅の目的ではないので、何処に行くのか特に決めてなかったが、清水寺には行ってみたかったので、京都市営バスの一日券を買ってバスで行ってみる事にする。
京都駅北口のバス乗り場は市営バスの乗り場が何ヶ所もあるのに案内板が見つからず、土地勘のある地元の人でないと何処の乗り場に並んだらいいのか分からない。その辺は都営バスの方がかなり親切だと思う。
そういえば仙台の市営バスもかなり不便だったのを思い出した。何故、地方の市営バスはよそ者には不親切なんだろうか?
仙台はともかく京都は観光客がたくさん来るのだから、看板やスマホなんかで分かりやすい案内をするといいと思うのに…
そんな感じでやや迷いつつも朝の7時頃、清水寺に到着した。
門前の土産物屋は早朝で全て閉まっていたが、清水寺は6時から開門していた。
清水の舞台は思っていたより狭くてこんな感じだったけど…
真下から見上げると
迫力が凄い。よくこの高さを昔の人は飛び降りたものだ。
真下にある清水寺の名前の由来となった音羽の滝。こんこんと水が湧き出ていた。
水をすくう柄の長い柄杓は殺菌消毒する機械があった。
そこから清水寺を離れて朝飯を食べようと京都の街を彷徨うのだが、休日の朝からやってる店が極端に少ない。
大きな通りから路地に入って行くと何か良さげな雰囲気の通りが…
ガラス張りの商店のような店先で、廃材を利用したアートな作品が飾られていた。
そこからしばらく歩いて行くと、早朝にもかかわらず、和服の綺麗なお姉さんが歩いていて、花街の雰囲気になってきた。いつの間にか宮川町を歩いていたようだ。
ここで、観光客と思しき一人で歩いていたおじさんが、あるお茶屋の前で写真を撮ってくれとiPhoneを渡してきたので撮ってあげた。
最初は普通のポーズだったが、二枚目は周りに誰も居なかったからか、自ら「シェー」のポーズをしていた。
実はその二時間後に、そのおじさんと七条大橋でばったりと再開したのだが、なんだかバツの悪そうな顔をしていたな。
京都の風景は川が素晴らしい。
鴨川だけでは無く、細く流れる高瀬川も風情があっていい。
そんな風景を楽しみながら、京都の街中を小一時間ほど歩いて、四条烏丸の「都野菜賀茂」というレストランに辿り着いた。500円で京野菜などの朝食バイキングが食べられる店で、人気があるらしく、俺が入った後からは外に行列が出来ていた。
その後は国立京都博物館で、坂本龍馬展が開催されていたので行ってみると、博物館の周りをぐるりと長蛇の人の列が…
400〜500人は並んでいただろうか?
ツイッターのつぶやきによると、この日は坂本龍馬展に合わせたイベントがあって、アニメ「刀剣乱舞」のキャラクターのクリアファイルが配布されるので、それを目当てに殺到したのでは?との事だった。
並ぶのが大嫌いな俺は、もちろん予定変更して錦市場へ向かった。
長いアーケードの途中に焼き物を売ってる店があった。酒器が目移りするくらい素晴らしいのばかりだったので、平盃を思わず買ってしまった。
店の中にろくろがあって、裏手には窯があり全てこの場所で製作しているそうだ。
それからこれまで一度も乗ったことのなかった京阪電車で大阪に向かった。
自衛隊観閲式総合予行に行ってきた
友人に誘われて、10月16日に埼玉県の陸上自衛隊朝霞駐屯地の訓練場での、観閲式総合予行に行ってきた。23日の本番の予行練習なのだろうが、ほぼ本番さながらに行われるらしい。
自衛隊には何の興味もない俺だが、陸上自衛隊が担当の観閲式は三年に一度で、滅多に見られないので行く事にした。
朝霞駅には8時過ぎに着いたのだが、思いのほか人が多く、シャトルバスは30分待ちなので歩いて行った。
訓練場のゲートを入ると手荷物検査があって、空港のように金属探知機をくぐり、ペットボトルやビン缶は持ち込み禁止なので、中身を紙コップに移し替え入場した。
チケットは招待席だったので、観閲台側のスタンド席に座る事ができた。なかなかいいポジションだ。
開始の時間が近づくと、スピーカーからドラムの音が流れ始め、リズムに合わせて防衛大の学生から順に行進で入場してきた。4000人ほどが並んでいる。皆さん微動だにしない。
手前左側の帽子の隊員は、俺がスタンドに座る前からその場で警備をしている。十数メートルおきに帽子の隊員が立っているのだが、皆顔や視線は動かしているが、首から下は観閲式が終わるまでの間、立ちっぱなしで少しも動いていなかった。行進する隊員よりも、この人達が一番大変だろう。
駐屯地の人に話を聞くと、彼らは警備の専門ではなく、普段は事務や機械の整備などの様々な職務に就いている若い隊員で、右側の白いヘルメットの人が警備を専門にしている隊員だそうだ。
白いヘルメットの隊員は途中で交代していたが、帽子の若い隊員は交代していなかった。水も飲まずトイレにも行かず、5時間以上立ちっぱなしだったのではないだろうか。命令に従って任務を遂行しているだけなのだろうが、凄い事だ。俺なんかは5分もじっと立ってはいられないだろう。こんな所を見られただけでも今日来て良かった。
10時30分になり観閲式が始まった。
諸々の式典が行われ、いよいよ行進の準備が始まり、皆さん左側に移動して行った。
その時に、入場する時に貰った式次第には、書いてなかったパラシュート降下が始まった。
式次第に書いてなかったので、天候が悪い時はやらなかったのかと、駐屯地の人に聞いてみると
有事の時に、「ちょっと今日は調子が悪いから飛ぶの止めます」
とは言わないので、相当な悪天候ではない限りやるそうだ。そりゃそうだよな。
徒歩部隊の行進の様子。
祝賀飛行の様子。
車両行進で戦車部隊の動画。どれが何式なのかは分からないが、爆音と排気ガスの迫力が凄い。
観閲式の後は、ドリル演技や和太鼓、合同音楽隊による演奏があった。
圧巻だったのは、音楽隊が「序曲1812年」の演奏時にそれに合わせて空砲を撃っていた。チャイコフスキーが書いた譜面には、曲のクライマックス部分で、大砲を撃つ指示が書いてあるからだ。
作曲者の指示通りに曲を演奏できるのは、こんな場所でしかないだろう。貴重な体験だった。
その後は、帰りがけに装備品展示を見た。
災害時に車が通れなくなった道を、このバイクで被災地に一番最初に駆けつけるのだそうだ。メーカーは書いてなかったが隊員に聞くとKawasakiだった。
実戦さながらにカモフラージュした展示には多数の行列ができていた。俺は戦車には興味がないので行列には並ばなかったが、普段は見られない貴重な展示とあって、皆さん近づいて写真を撮っていた。
初めて観閲式を観たが、中々見応えのあるイベントだった。自衛隊が普段から厳しい訓練をして有事や災害に備えているのがよく分かった。でも彼らが出動する事がない、平穏な日々が続くのが一番だけどね。
都橋はる美に行ってきた
福富町の丿貫(へちかん)を出た後に、徒歩3分ほどにある都橋商店街の「はる美」に行った。
二階に看板があった
「はる美」は日替り店主がやっているバーで、金曜日担当の方が映画「あらうんど四万十」に関するツイートをしていたので、前からお店の存在は知っていて、どんなお店のなのか気になっていた。
金曜日に丿貫に行く事ができたので、20時過ぎにお店を訪ねてみると、開店したばかりだった。
金曜日店主のノリスケさん(女性)はご両親が高知県の出身で、以前に高知家ふるさとミーティングの記事で書いた、扇谷ちさとさんのドリームよさこいで踊った事があって、それが縁で映画「あらうんど四万十」を応援していた。
壁には他の曜日の似顔絵バーの店主が描いた、お客さんの似顔絵が飾られている。その店主は、弾き語りで歌も唄うらしい。
バーなのに全面禁煙なので、室内は綺麗でタバコ臭さがないのがいいな。
カウンター7席位の小さなお店で、広さは三坪で、畳六畳分と同じ広さだ。
都橋商店街は全てのお店が同じ広さで、一階と二階で合わせて60店舗入っている。
お店の名前が入ったガイドがこれだ↓
ちょっと前までは空き部屋があったそうだが、今では予約待ちが出るほどの人気の優良物件だ。
二階にあるホッピー好きの聖地「ホッピー仙人」が吉田類さんの酒場放浪記で放送されてから、都橋商店街の人気が高まったとノリスケさんは話していた。
この都橋商店街の面白い所は、トイレは店の中には無い。建物の中央に共同のトイレがあって、お客さん以外に使用されない様に鍵がかかっているのだ。トイレに行く時はお店の人に鍵を貰って行かなければならない。店を出て行く時は、皆同じ様な店構えなので戻った時に、店を間違えないようにと声を掛けられる。間違える人が多いのだろう。
トイレでは、他の店のお客さんと遭遇する事が多いので、鍵を使う事はまれだ。他の店のお客さん同士でも、都橋商店街ファンのような連帯感が生まれて、皆さん譲りあっていて、優しい酔っ払いだった。
金曜の夜なのに「はる美」には俺以外にお客さんは来なかった。誰か来てから帰ろうかと思っているうちに23時を過ぎ、随分と長居をしてしまった。ノリスケさんすみません。
今度訪れる時は、横浜の友達も誘ってみよう。そしてご常連達との会話を楽しんでみたい。